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2006年12月24日 (日)

ふな母の手紙

クリスマスですねぇ。おとーさんは「ラジコン納め」と言って出かけて行きました。ホンマにこれが今年最後なん!?はなはだ疑問ですが、夜は家族で過ごそうと思います。でもしようかな・・・(えらい和風なクリスマスや)

 

Air_mail ところで、ここに1通のエアメイルがあります。これは1996年今からちょうど10年前クリスマスにある人からフナママの母(ややこしいな)宛てにいただいた手紙です。 

今回は、この手紙についてお話させて頂こうと思います。

ふなママのおかあさんは、1997年の3月。ふなママが22歳のときに肺がんで亡くなりました。上の手紙は、母が過ごした最後のクリスマスに、アメリカに住む母の知り合いから送られてきたものです。

当時、母の癌は完治できないものとして医者から宣告され、母は1年以上に及ぶ延命治療を続けていたのでした。抗がん剤と放射線治療の結果、一時は退院するまでに回復したものの再び悪化し、この手紙は病院のベッドで受け取る形となりました。

手紙を読んだ母は、すぐに送り主の方へ返事を書こうとしましたが、手に力が入らずペンをうまく握ることができません。そこで、私に返事の代筆を依頼しました。母が口頭で返事を言い、私が書きとめるという形で。そこで母が口にしたのは、こういった内容でした。

 

「Mさん、毎年お手紙をありがとうございます。皆さんお元気ですか? (中略) 私は少し体をこわして現在入院していますが、大したことはありません。すぐに退院できると思います。 (中略) 近いうちに子供達をつれて、アメリカへ遊びに行きたいと思います。皆さん、お体にお気をつけて」

 

私達きょうだいは母に癌であることを告知していませんでした。母が手紙に書こうとした内容が本心だったのかどうかはわかりませんが、母はプレスリーが好きだったり、好物がビフテキだったり、ほんとアメリカンなおかーちゃんだったんですよ(笑)治っていつかアメリカへ、というのもあながち嘘ではなかったのかも知れません。

ところで、私のほうはというと、母に託された手紙を、結局アメリカへ送ることができなかったのです。母の命があと幾らもないとわかっていたので、正直キツいものがありました。母に「必ず送っておく」と約束しておきながら、ぐずぐずしてるうちに年を越し、2月が来て3月になり、そして55歳の誕生日を迎える直前に、母は天国へ。

(次回へつづく)

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